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●気まぐれ Diary Memo               start '07.12.5

******* 鬼剣舞の由来 ******

<掲載写真7枚>

 ●鬼剣舞の由来
北上市の周辺に伝わる「鬼剣舞」は、「念仏剣舞」の一つですが、威嚇的な鬼の様な面(仏の化身)わつけ勇壮に踊るところから「鬼剣舞」とよばれ親しまれています。
 大宝年間(701〜704年)修験祖、役の行者小角が念仏を広めるために念仏を唱えながら踊ったのが始まりという説や、大同年間(806〜810年)に羽黒山の法印、善行院が荒沢鬼渡大明神で悪霊退散、衆生済度の念仏踊りとして小渡のとして伝えられたのが始まりともいわれています。

●12.19(水)くもり
 北上市内から西へ約20キロ少々で奥羽山脈の麓に着きますが、瀬美温泉は夏油スキー場に行く手前にあります。大体20分位のドライブとなります。10月に新装されてとても綺麗になりました。美人の湯・夢の湯・長寿の湯と三種類のお湯が掛け流しで楽しめます。泉質がアルカリ性なのでつるつるします。人気のあるのが美人の湯なんですが、入浴した方が美人になるとは謳っておりません。男性が入ったら美男子になるのだろうか?料金は500円です。折角だからこの三つに全部入ろうとしましたが、やはり二つがいいところ。のぼせてしまいます。

●鬼剣舞面
    色   季節   明王名
    青    春   隆三世明王
    白    秋   大威徳明王
    赤    夏   軍茶利明王
    黒    冬   金剛夜叉明王

 鬼剣舞は普通8人で踊り、一人が白面、ほかの7人は青・赤・黒の「阿」と「云」の面をそれぞれつけます。 この4色は四季・方位を示すとともに悪霊を降伏させ人々を救済する「仏さま(明王)」を表しています。「鬼」ではなく「仏」ですから、この面には角がありません。

北上和賀地方に伝わる鬼剣舞の源流。起源は大宝年間(701〜704)に修験の祖である役の行者小角が念仏を唱えながら踊ったのが始まりとも、大同年間(806〜810)に羽黒山の法印善行院が大日如来の化身から悪魔退散・衆生済度の念仏踊りとして伝えられたともいわれている。北上和賀地方への伝承時期は不明だが、康平時代(1058〜65)、安部頼時の子の黒沢尻五郎正任がこの踊りを好み、将兵の出陣や凱旋の際に踊らせたのが広く伝わったといわれる。また享保17(1732)年の『念仏剣舞由来録』には、延文5(1360)年、岩崎城主の岩崎弥十郎が主君の和賀政義を城に招き、剣舞を踊らせたところ政義が大いに喜び、家紋の笹リンドウの使用を許したという記述がある。踊り手は8人が基本だが、演目によって1〜8人で踊る。踊り手は毛ザイをかぶり面を付け(白面が踊り手の中心)、平口袖の身ごろに広口袴。刀を帯び、腕に鎖かたびら、手甲、脚絆、白足袋に草鞋で、右手に扇、左手に赤い金剛杖をはさむ。演目は「一番庭」「一番庭の狂い」「刀剣舞」「八人加護」などで、独特な節回しの念仏が入るものもあるが、基本的には踊りに詩章はつかない。

<おはやしと構成>
 普通、おはやしは太鼓1人、手平鉦(てびらがね)1人笛2〜4人で構成され、踊り手は8人で、これにカッカタ(道化面)、晴衣の少年(または少女)の胴取りが付属するのが本来の姿とされています。

****** ネットから引用 *******

【’06.8 芸能まつり...剣舞の乱舞】

【廊下で見かけた鬼剣舞のお面】
【長寿の湯の手前にある夢の湯】
【正面は長寿の湯】