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●猫谷地古墳群

●江釣子古墳群

<添付写真...7枚>

国指定史跡 
江釣子古墳群 (五条丸古墳群)                         北上市教育委員会
 五条丸古墳群は、和賀川北岸の自然堤防上に立地し、猫谷地・八幡古墳群と同じく古墳時代末期(7世紀後半〜8世紀前半)の円墳群でである。
 昭和37年(1962)の発掘調査で50基の古墳を調査し直径6〜15mの周湟をもち、主体部が猫谷地古墳群と同様で川原石を小口積で長方形に積み上げた石室であることが判明した。北壁(奥壁)には大きな石、東西壁(左右側壁)には数カ所に立石を配置し、南に閉塞石をもつものが多いことから、横穴式石室の流れをひくものであることが判明した。石室内からは、蕨手刀・直刀・鉄鏃(やじり)などの武器類、鉄鍬先などの農具、馬具、勾玉・切子玉・ガラス小玉などの玉類が出土している。
 現在、27基の墳丘が残っているが、消滅したものも含めると100基以上の古墳群であったとされる。

<石室内部の様子...四方にある扉の窓の隙間から撮影>
<東方向からの入り口>
<猫谷地1号墳>
古墳群は八幡・猫谷地・五条丸という一帯に見られますが、圧巻は「猫谷地古墳」でしょうか。民家の中にボツボツと存在する古墳群に、なんか異様な感じがするのです。
<現場にある案内場ですが、地図が不鮮明です。>

●カムイ・ヘチリコホ <神々の遊び場>            平成2年6月 記 江釣子村

 古墳と泉の里江釣子村には、約千二、三百年前に造営されたと推定される国指定史跡3群120基の古墳と、古くより人々の生活を支えてきた泉が72カ所あり、清洌な清水が湧き出でております。カムイ・ヘチリコホ は古墳と泉の里を基本イメージとし、村民が安らぎ求め、憩える場として建設されたもので、自由の広場、野外ステージ、湧水を引き込んだ親水空間からなっています。また、村民あるいは村にゆかりのある方から応募いただいた手形の石を配したもので、江釣子村生誕百年の記念の場でもあります

●名称の由来について
 アイヌ出身の言語学者知里真志保博士の地名アイヌ小辞典には、カムイ・ヘチリコホ (神々の遊び場)がみえます。古代アイヌの人々は霊魂の不滅を信じ、神々も、人間と同じように遊んだりお産をすると考えたと言うことです。ヘチリコホ はそのような特別な聖地と考えられた言うことですが、水清く緑豊かな自然に恵まれた和賀川沿のこの地を先住民族である人々は「カムイ・ヘチリコホ 」と呼んだと言われ、これが江釣子の名の由来の一つと言われています。江釣子村はこのように古代には神々の園であり、カムイ・ヘチリコホ の子孫達の楽園だった考えられ、古代の限りないロマンに彩られた土地柄を思わせます。この広場はこのように江釣子村の名前の一つとしてあるアイヌ語のカムイ・ヘチリコホ とそのまま生かしたものであり、また呼称を現代化し「カムイン江釣子」と考え、多くの人々を江釣子村が歓迎する意味も込められているものであります。