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●国見山神社(偵岡神社)

※添付写真 3枚

延喜式内社 偵岡(ものみおか)神社(国見山神社)のいわれ

延歴二十一年(802)坂上田村麻呂将軍が胆沢城を築き胆沢郡を置かれたとき、胆沢郡の東北の隅を偵岡(種山)としそこに神を鎮座させた。大同三年(808)胆沢郡わ分けて江刺郡を建てられ弘仁二年(811)には江刺郡の北へ和賀郡が置かれた。文徳天皇は天安元年(857)偵岡神の遙拝所を国見山に建て神社としその別当を極楽寺の役僧に掌らせた。
 この時から極楽寺は政府経営の官寺となり僧が祝詞を奏し舞楽も行い神社を護りつづけた。延喜五年(905)醍醐天皇が「式」の編纂を命じ延長五年(927)脱稿した。その中に神名帳があり陸奥国江刺郡偵岡神社も官寺に指定された。
 ご神体は倉稲魂命(うけもちのみこと)とも大物忌神(おおものいみ)とも稲荷神(農業の神商売繁昌の神)ともいい、江刺郡へ徳として顕われて偵岡神といったのである。それから後、祭典には国司が親しく奉幣することになった。世移り度々の野火ですべてを失い廃れていた。
 明治になって国見山神社と改称し、村民すべて氏子となり四月(現五月)三日の祭典日には南は石巻、北は花巻辺りまでの参詣で賑わった。 
 石鳥居献納の日   司東眞雄 略して記す      寄贈 高弥建設株式会社

※掲示板の引用です
<国見山神社>
<正面の小さな山が「男山」>