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国見山廃寺  平成16(2004)年9月30日 国指定史跡指定 北上市教育委員会 掲示板借用

 北上川東岸の丘陵にある古代の山岳寺院跡です。9世紀後半(平安時代前期)に開かれ、10世紀後半から11世紀(中期)にかけて最盛期を迎えました。山の中は平らな場所が限られるため、寺の建物は平地のように規則的に配置できません。建物は現在の国見山神社の付近を中心として、山の地形に合わせて配置されています。
 最盛期には南側の宝塔山まで範囲が広がりました。この時期には礎石(柱の土台石)をもつ建物、瓦屋根の建物、塔が建てらました。また、布目瓦・鬼瓦・土製の螺髪(らはつ)とよばれる仏像の頭髪・磚(せん)とよばれるレンガ等の遺物が出土しています。
 また山麓の平地では硯が出土しており、国見山廃寺は山地と平地が一体となって機能していたと考えられます。国見山廃寺は天安元(857)年に定額寺(官寺に次ぐ地位にある私寺)に指定された「陸奥国極楽寺」とみる見解もありますが、まだ証明されていません。
 国見山廃寺の最盛期には、周辺に大竹廃寺(更木)、白山廃寺(黒岩)、横町廃寺(立花)などの寺院が存在していたことが確認されています。北上地方に仏教が浸透し、展開していった状況が知られます。
 12世紀後半(平安時代後期)以降の建物は、見つかっていません。このころには国見山廃寺が消滅していた可能性があります。

<現地にある図解の説明板>

国見山・極楽寺文化について】         ※正面 解説板に追加補足

 奈良時代までは、陸奥の国は仙台市郊外の多賀城が政治・軍事の中心で、仙台の国分寺が文化の中心でした。平安時代に入ると、水沢市郊外の胆沢城が坂上田村麻呂によって築かれ、鎮守府となり陸奥の中心が北に進みました。この国見山に極楽寺を建て、準官寺(国営の寺として日本最北の寺として文徳天皇実録(天安元年853年)に記されている)の資格が与えられ、36の僧房からなる大きな寺でした。

 これは、中尊寺が建てられるおよそ250年も前のことで、その当時、国見山が岩手県地方の文化の中心地でした。
坂上田村麻呂が国家護持と夷敵降伏を祈って毘沙門天を勧請し、その後嘉祥 3年(850) 滋覚大師円仁が伽藍を整え国見山極楽寺と称した。天安元年(857) 文徳天皇の勅命により準官寺の定額寺に指定された。当時の政治文化の中心であった。国見山の東谷、北谷、西谷に堂塔坊舎が立ち並んでいた。

 国の吉凶の御祈祷、写経、大法会などのほか、いろいろな社会事業も行っていました。福田地という地名が残っていますが、田畑をつくって社会事業を行い、前田地というところでは舞楽などを行って資金源にして自生しており、かなりの貴重な植物もあります。極楽寺は当時薬用の植物を集めていたとのことで、それを再現する「薬草園」が作られている。修験者は祈祷で病を治すと同時に医者でもあったから、薬草の知識もあったのだろう。

 このようにしてわたしたちの祖先にとって、国見山はあらゆる文化の中心地だったわけです。しかし、たくさんのお寺や坊は幾度かの火災で焼けてしまい、現在残っているものは、北谷坊(いまの立花毘沙門堂)に毘沙門天、増長天、持国天(国の重要文化財)、極楽寺の竜頭、錫杖(ともに国の重要文化財)、如意輪寺の釈迦、文殊、普賢の三尊(県の文化財)などだけになっていますが、近年調査によって五重塔跡、経堂跡などが確認されています。

極楽寺
<解説  極楽寺 石塔婆>   掲示板から借用
岩手県指定有形文化財  「極楽寺境内の石塔婆」

 石塔婆とは、石で作られた供養塔のことで、板碑とも呼ばれます。十三世紀前半の鎌倉時代前期に関東地方で発生し、江戸時代の初めまで全国各地で盛んに作られました。碑の上部に種子(古代インドの文字である梵字の一種)1字を刻み、特定の仏をあらわします。目的は、逆修供養(自分の極楽往生を願うこと)や、亡くなった親族の供養です。
 この極楽寺境内の石塔婆の8基は岩手県の有形文化財に指定されています。十王・十三仏信仰にもとづく種子、仏名、王名、忌日(忌年)が刻まれるのが特徴です。このうち5基が「最教」という人物によって建てられています。最教は、当時のこの地域で政治・経済的に重要な立場にあった有力者と考えられます。8基のうち2基は、碑文から鎌倉時代末期の延慶3(1310)年と延慶4年に建てられたことが判明しています。但し、全部の石塔婆が、初めからこの場所に建てられていたかどうかは不明です。中世に生きた人々の信仰を考える上で、注目される資料です。
平成16(2004)年 3月      北上市教育委員会

※十王、十三仏信仰...初七日以降の忌日に死者の罪業を審判する十王を供養し、極楽往生を願う信仰。十王の本来の姿とされる十仏にあとから三仏を加えて十三仏とし、これら十三仏が死後の救済にあたると考えられた。
石塔婆
右手は宝物殿
正面上がり口
<極楽寺 Map>

●国見山と山岳宗教

<添付写真...9+3枚>
桜の名所「展勝地」には、いろいろな地名が残っています。<たたみ山><男山><珊瑚岳><陣ヶ丘>...展勝地からみて東の方向に<国見山>があります。この一帯は市民の憩いの場となっています。「極楽寺」は国見山の麓にあります。