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●’11.7.10(日)はれ  ...原発事故の収束がつかない
 
3.11の東日本大震災からもう4ヶ月経ちます。あれほど混乱したライフラインも元に戻りましたが、福島の原発は未だに終息気配の見通しがたっていません。全国各地にある原発で検査中のものも含め、再稼働に大きな混乱を引き起こしてしまいました。九州の玄海原発(佐賀県)の再稼働がなされるよう、経過が進んでいたのですが、予算委員会で突然、菅総理の閃きなのか、経産大臣の頭越しに耐性試験ストレステストの実施が決められ、ちぐはぐな対応で混乱してしまいました。当然のこととして、担当大臣と総理の見解がかみ合わないのです。言い換えると担当大臣を無視した総理の独断と思われるのです。
 ここらの裏の経緯は報道されませんが、検査機能として「保安院」と「安全委員」との担当大臣が異なります。つまり「保安院」は経産省、「安全委員」は原発省とで原発を管理している仕組みになっています。報道によると原発の稼働は経産省の管轄でGOサインをだせることになっており、総理は全体を束ねる立場ですから、自分が駄目だと思えば、大臣の意向など無視できる訳です。管轄が異なりますから今回のストレステストは、菅総理から突然発しられたということになっていますが、ことの真意はつかめません。つまり今までの原発に対する一貫した方針がないために、このようなちぐはぐなことが引き起こされるのでしょう。菅総理の根幹にあるのは、現在稼働している原発を、撤廃したいのではないのでしょうか。
 リーダーシップがない...と、こきおとされていた菅総理は、野党からの追及にも「柳に風の如く...」するりと受け流しています。民主党の執行部のアドバイスも無視のようで、完全に与野党から浮き出てしまいました。さりとて誰にも鈴を首につけることが出来なくなり、やりたい放題のようでまるで恐いものなしの有様です。基本は「市民運動家」の考えなのでしょうから、残りの時間を存分にやってみたいのでしょうが、菅総理の真意が読み取れないのです。



●6月26日(日)小雨  ...現地を訪れて
 
 偶然ですが機会があり、沿岸の「釜石・越喜来・大船渡・陸前高田」のドライブとなりました。内陸部に住んでいると、被災している方たちの姿を見るのが心の底に引っかかるものがあり出掛けるのは控えていたのです。高速道路が被災地証明の提示で無料となりましたが、海岸へは何らの恩恵がありません。海岸線まで高速道路がありません。沿岸部にお住まいの方へはガソリンなどの割引などがあってもいいようにも思えるのですが、無理なんでしょうね。
 当日、沿岸部は生憎と小雨でした。バカちょんのデジカメで撮った写真を整理する気にならず、そのままにしていました。自分の脳裏に焼き付けられた記憶の掘り起こしに過ぎませんが、HPを開設していますので、重い腰をあげ簡単なメモを起こしてみました。
 移動経路は、北上→遠野→釜石(国道45号線)→越喜来→大船渡→陸前高田→住田→鱒沢→北上で、走行距離は約250Km、午前中に出て夕方には帰ってきました。ゆっくりの一日コースのドライブです。

●釜石の様子 
 
 遠野市が自衛隊や救援隊のベース基地となっている関係で、車の数がいつもの数倍以上になっていました。仙人峠を過ぎで釜石に入りましたが、例の通り山あいの狭い土地に張り付いた町で、市街地までに行くにはかなりの距離があります。釜石駅が分岐点となって、北に上がれば宮古、南に下がれば大船渡方面となります。幹線道路は完全に綺麗に片付けられており、震災の様子が分かりませんが、釜石駅周辺に交通整理の警察官の方たちが張り付いていました。
 釜石駅の向かいにある旧釜石製鉄所は、道路よりかなり高い位置にありますが、広場には瓦礫がうずたかく摘まれていました。甲子川を渡った市街地はゴーストタウンとなっており、信号が稼働していません。あちこちにうずたかく積まれている瓦礫から、震災時の様子が推察できます。このままでは、市街地は簡単には再生が出来ないでしょう。複雑な感じがしました。



●釜石製鉄所が撤退し、釜石の町は当時の鉄の町から一転して静かなまちになりました。北上から釜石に行くには。、湾内巡りの遊覧船と釜石大観音へ寄りそのまま南に下って「大船渡」→「碁石海岸」→「陸前高田」の一日ドライブコースです。都会地とは違い車の量が格段に少ないのですが、今回ビックリしたのは釜石方面から遠野へ抜ける107号線が殆ど写真に見られるようなラッシュの状態でした。あとで考えてみたら、遠野市が釜石・大船渡などへの被災地供給基地になっている関係から、この東西のルートの車両が一番混んでいることが分かりました。




●無残な市街地の破壊された様子です。このまま修理して住まいにするには大変な作業になるのでしょう。手前に赤旗が見えますが、この建物は再利用は出来ず片付けることを了解した印なんだそうです。後日この辺りをドライブしたら、市街地は殆ど撤去され更地になっていることでしょうが、商店の方にとってはこのまま昔のように店舗を建て直すには勇気が必要になります。さりとて高地に移転するとしても、釜石の土地から考えたら空中都市しか再生の要素が見つけられないのでしょう。海岸線にへばりついた土地で、山を崩すと考えても出来ないことです。



●店舗のガラス窓に丸印が見られますが、先ほどの赤旗と同じで撤去可能、つまり建物を完全に破壊して更地にしてもよい..と言う印です。



●越喜来の様子    11:30過ぎ...

 釜石からおおよそ1時間ほどで大船渡の手前「越喜来」に着きます。この場所は内陸部からよく釣りに出掛けた場所です。越喜来の高台に道の駅があり、いつもそこでお昼を頂いた所です。湾口から45号線までかなりの標高がありますが、45号線ぎりぎりまで波があふれ出し町並みは殆ど瓦礫と化してしまいました。ここらは生餌で「エラコ」..ミミズみたいなものですが、これで釣りをします。ルアーなどは殆ど使いません。釣具店も跡形もありませんでした。




●向かいの防波堤が寸断していますが、津波で破壊されたようです。足下は殆ど瓦礫の状態です。




●中央の堤防のように見えるのは「南リアス線」の線路です。レールも引きちぎられていました。偶然にもこの時間にジーゼルカーが運用されていなかったのが幸いですが、トンネルの中で立ち往生したものもあるようです。防潮堤が無残にも引きちぎられていました。



●湾内にある作業小屋などは完全に破壊され、係留されていた小型漁船などは波にさらわれるか、海の藻屑になってしまったようです。湾内に散乱した瓦礫の撤去は、陸上とは違い簡単には行かないでしょう。金属類は潮水で腐食は早いと思いますが、当分の間は海釣りは無理でしょうね。



●大船渡の様子    13時過ぎ...

 越喜来の45号線道の駅でお昼を頂いて、そのまま大船渡に下がりました。時間的には20分弱の直ぐお隣です。そのまま45号線を高田に向けて走ったのですが、もともと45号線は市街地よりも数段高い所にあります。盛駅を過ぎて「大船渡駅」の近くから、繁華街のあった海辺に下って見ました。その途端に景色が一変しました。これから何枚かのスナップが、今の市街地繁華街の様子です。海辺に近い所にいろいろな商店街が並んでいますが、どうしても平坦地が商店街等の便利な立地条件となるのは仕方がないのです。後日、報道で数カ所に設置されているATM等が無断で破壊され盗難にあったようですが、ここらは報道がかなり制限されているようで、宮城や福島のように大騒ぎはなかったようです。
 大船渡は「JR大船渡線」の最終地点で「さかり駅」から、「三陸鉄道南リアス線」が宮古に向かって走っています。宮古から北の方向、久慈・八戸へは「北リアス線」が開通しているのですが、ここも今回の津波で完全に破壊されてしまいました。まだ未確定ですが、全線が復旧する見通しがついたようですが膨大な経費がかかります。完全に直るまでにはかなりの時間がかかることでしょう。45号線は海岸寄りではなく、かなりの高い山際を走っています。今回は少し海岸寄りに降りて見ました。高台とは違い、市街地の繁華街は完全に破壊されていました。



●海よりの市街地ですが、鉄筋の建物はさすがに頑丈でした。完全に冠水しなかったのですが、中は滅茶苦茶なんでしょうね。正面に見える「かもめの玉子」のお菓子屋さんですが、はあまり時間が経たぬうちに生産が再開されました



●普通の家屋は、2階の高さが屋根までおおよそ6m位あります。殆ど波にさらわれて瓦礫になってしまいましたが、鉄筋製の建物は頑丈とは言え、2階まで完全に冠水しています。津波は寄せ波と、引き波とがあり、殆どが引き波で強引に破壊されたようです。大体地上から10m近い波では、一般の家屋では水圧に耐えることはできないのでしょう。瓦礫だらけでこの処理はどうするのでしょうか。木材、金属などごちゃ混ぜで分別しないと再利用は無理でしょう。海辺には魚の大型冷蔵庫があったようですが、二日間の停電で冷凍が出来なくなり腐った魚類は海洋投棄したようです。雨の日は粉じんが少ないのですが、天気のいい日には猛烈な臭いと異常発生したハエとて悩んでいるようです。



●これが津波の傷跡です。絶句...



●陸前高田の様子    14時過ぎ...

 大船渡から下がって、途中の広田半島をぐるっと巡ってきました。途中観光バスが数台止まっていたのですが、「なんだろう...?」と思ったら、ボランティアの方たちがあちこちで瓦礫の片付けをしていました。自分にとっては気持ちの中で「申し訳ない...」という一言で、すーとそのまま通り抜けてきました。気がついたのは県外ナンバーのパトカーが瓦礫のなかを、ひっきりなしにパトロールしているのです。仕事とは言え、頭の下がる思いでした。
 気仙川で形成された三角州の関係か、陸前高田は海に向かって広い平地が展開しています。「高田松原」は有名な景勝地で、海岸に沿っては走る45号線の海側には何万本もの松林が町を守り、かなりの高さの防潮堤もありましたが、跡形もありません。今回の大津波はこれらを巻き込んで市街地全体をなき払ったように襲来したのです。道路沿いにあったお店、食堂、道の駅など、何も残っていません。



●何度も行った「貝のミュ−ジアム」です。2階まで冠水し、内部の施設は完全に破壊されたそうです。2階に陳列していたクジラの剥製が無事だったようで修復されたそうで、建物が直ったら?また元の位置にあんちされるのでしょうか。中央、遥か向こうに一本の松が見えますが、これが唯一残ったものか? 唯一残った一本松は、気仙川の水門近くで、なんとか生きているようです。ただ水源が海水なので時間の問題なのかもしれません。あとは生命力に期待するしかないのでしょう。高田のスナップは大体14時過ぎのものですが、外は小雨が降っていました。



●「ミュージアム」の隣にある「海洋センター」の広て駐車場に、車の残骸が片付けられていました。完全なスクラップの状態です。



●同じ場所から振り返って南側をみた様子で、画面には見えませんが左側にキャピタルホテルが見える場所です。



●45号線からみた北の様子。左手建物は「県立高田病院?」でしょうか。何処に何があったか判別がつかない...



●小雨になりました。私たちと同じ目的なのか車があちこちに止まって見ています。



●マンションと同じ高さに盛り上げられた瓦礫の山。



●正面の建物が「市役所」...?周囲は一面うず高く積まれた瓦礫だらけで周囲の商店街は跡形もありません。



●同じ場所から振り返って見た海側の様子。瓦礫がもの凄い。地番沈下の関係か水はけが悪く、まるで田んぼに張った水みたいな感じです。左手の突き当たりから右の方向に45号線に架かっていた気仙大橋が流されました。7月上旬、仮橋が完成し、今は気仙沼方向に通行できるようになっています。

 これからいつか再度同じコースを走ることがあるかもしれませんが、瓦礫が片付けられ更地が広がるだけなのかもしれません。陸前高田は同じ場所に市街地が再生されることは叶わないでしょう。被災した人たちで過疎がまます進行し、この地は大震災のひとつの記念碑みたいなものになるのかもしれません。申し訳ないのですが、亡くなった方たちの冥福を祈ることしか出来ないのです...合掌!!

 思いつきで簡単に編集してみましたが、なかなかまとめることが大変で、編集終了11日深夜。まだまだ説明不足の舌足らずな感じがしています。



●8月1日(月) くもり   岩手まで汚染拡大..

 福島・宮城に続き岩手までとうとう拡大され肉牛の出荷が制限が指示されました。県南の「前沢牛」がよく知られていますが、酪農家にとっては大損害になると思われます。3月に福島原発からまき散らされた放射能が、かなりの広範囲(福島から岩手まで直線距離で200Kmは離れていますが...)まで降りそそぎ、牧草ではなく乾燥稲わらを飼料として与えていたことに問題が発生したようです。岩手県は広く四国と同じほどの面積ですが、特に県南地方の一関市周辺が特定されているようです。最初意味が分からなかったのですが、肉牛の「しもふり」というものを作り出す手法だったようです。外国産の肉は少し硬いのですが、国産のものは柔らかく食べやすい関係から、どうしても国内のものを購入する傾向が強いのです。海外から搬入される食材が、国産の方が価格が高いのは、食の安全性と信頼性の問題としてとらえていました。今後、国内のものが駄目であれば、外国産ものを買わざる得なくなります。最近お買い物をしたときに、注意してラベルを見ると、外国産の表記がわざと裏に書かれているのが目につくようになってきました。いい例が「ウナギ」で、中国産のものが半値近い価格になっています。仮に、販売されず在庫となった場合、どのように処分されるのでしょうか?少し疑問に思っていました。

 酪農関係の乾燥稲わらで大騒ぎしていますが、広範囲に降り注いだセシュウムなどが、稲作の肝心な土壌にも降り注いでいるわけですが、秋になり収穫されるお米に無関係ではないと思われます。ただ、野菜などはあまり騒がれていないので、あまり関係がないのか...?とも思っています。最近、薬局などには、地元の市役所で測定した放射線量の表示がなされていますが、全く無知識です。数日前に行ったときには「0.07μSv/h」と表記されていました。この単位は「マイクロシーベルト」といい、1時間あたりの放射線量を表しているとか。



◆8月11日(木) くもり 

 以前にメモしていましたが、岩手県内の犠牲者数が再度詳しく発表されました。震災からもう5ヶ月が過ぎますが、未だに行方不明者の方が2045人ですが、そのうちの「死亡届として受理」されていた方たちの人数が公表されましたが、初盆を迎えることが出来ない方たちが多数いらっしゃいます。お盆の時期となり、高田松原の松は京都の送り火として活用することになっていたのですが、市民から「放射能汚染の心配」との風評で廃止となりなんともいえない腹ただしさあります。所詮京都から見たら、東北は「蝦夷地」で、鬼の住む所でこれは歴史の流れからして仕方がないことなんでしょう。
 8月10日現在、県災害対策本部のまとめで、数字は死者数/行方不明者数/(死亡届受理数)となっています。各地域によって、かなり亡くなった方の特定したようですが、未だにご遺体が見つからない方が多数いらっしいます。

         死者 行方不明 死亡受理
・陸前高田市 975−1304−  * ※市街地が殆ど壊滅
        1554− 385− 250
        1554− 298− 241
・大船渡市   268− 259−  * 
         339− 107−  84
         339−  88−  72
・住田町       0−   3−  1
          
 0−   1−(  0)
           0−   1−   1
・釜石市    638− 630−  *
         884− 194− 170
         887− 169− 159
・大槌町    519−1019−  * ※殆どの方が突然のうちに遭難
         802− 551− 476
         802− 505− 466
・山田町    435−   *−  *
         604− 211− 167
         604− 165− 157
・宮古市    350−1400− 33  ※市街地の半分くらいが壊滅
         420− 121− 107
         420− 114−  92
・岩泉町      5−   0−  0
           7−   0−(  0)           
・田野畑村    14−  25−  8
          14−  16−  15
          14−  15−  14
・普代村      0−   1 
          
 0−   1−(  0)
           0−   1−   1
・野田村     36−   4− 34
         
 38−   0
          38−   0−(  0)
・久慈市      2−   2−  8
           
2−   2
           2−   2−(  2)
・洋野町      0−   0−  0
           0−   0−(  0)
・その他      0−   4− 66
           0−  10−  5
           0−  10−  4
 合 計   2356−4253− 82  ※3月19日現在のまとめ
        4664−1599−1277 ※10月 7日現在、県総合防災室発表のデータ
        4667−1368−1209 ※ 1月11日現在、県総合防災室発表のデータ

【補足】
◆2012年1月11日(金)くもり
 震災から10ヶ月が経過し地道な捜査活動が今も続いています。被災12市町村では復興計画が出そろい、今後は高台移転や浸水地区の地盤かさ上げなどで町の再建が始まりました。災害義援金は昨年12月現在で総額272億円で支給率87%、災害弔慰金は4860件で総額146億円、支給率77%となっています。今月から失業手当の給付切れとなり、雇用対策も急務となっています。厳しい寒さが続き、仮設住宅での生活も大変でしょうが頑張ってください。
 この寒さは、南米ペルー沖の海面温度が低下する
「ラニーニャ現象」の影響のためといわれ、はるか遠方の自然現象が悪さをしているようです。ラニーニャはスペイン語で「女の子」という意味で、少しヘソを曲げているのでしょう。徐々に日が長くなり16時半過ぎにもかなり明るくなってきました。あと半月の辛抱となります。



◆10月10日(月)くもり
 新聞報道からの抜粋ですが、県内の避難所が解消され、被災者は仮設住宅などで生活再建を目指す方向へと完全移行となった。これから寒くなる季節を二向かい仮設住宅では冬場対策への工事が行われ、天井・床下への断熱材での追加や二重サッシや玄関への風除け設置が行われるという。
 各地でのがれき処理がなかなか進まず受け入れる自治体の足並みがそろわないのが実情でもある。膨大ながれきの処理で解消するまで難問が生じている。福島原発は未だに未解決のままで「汚染瓦礫」の処理で解決策が見いだされていない。津波に伴う瓦礫処理で、岩手・宮城・福島3県の沿岸部だけでなんと約2300万トンもあり未だに58%がそのままで、広域処理で東北以外では東京都だけに過ぎない。京都市にいたっては「汚染された恐れのある災害廃棄物は受け入れない」と表明している。環境省は「岩手・宮城の廃棄物は線量が低いのに...」と困惑しているという。



◆11月4日(金) はれ 
 偶然ですが釜石→大船渡→陸前高田と北上からの日帰りコースをドライブしました。
・【 釜石市 】
 いつもと変わりがないよう町並みですが、繁華街の瓦礫はすっかり片付けられており綺麗になっていました。いつも指摘されるように、道路信号がやはりそのままになっていました。



●製鉄所の瓦礫はそのままうずたかく積まれてままです。

・【 大船渡市 】
 大船渡市街地に降る手前の高台にある道の駅でお昼を頂いて市街地に降りました。ここも釜石と同じように綺麗に瓦礫が片付けられてしました。ただ被災した海岸近くの低い地所で家屋が建ち始めているのにビックリしたのです。あまりにも遅い対応に、背も腹も変えられないことを感じたのです。そこに住まいしていた方にとってはとうぜんの事なのだと思いました。海岸地区の低い土地では殆どがそのままになっていました。






●碁石海岸からみた広田湾ですが、まるで穏やかな海で津波が押し寄せてきたなど信じられないのです。海は時には猛烈な牙をむき出しにするのは分かっていても、なんかこの海の姿からは予想もつかないことです。

・【 陸前高田 】
 瓦礫はそのままでしたが、例の一本松には完全に通行止めになっており、目的の場所に行けず仮橋の「気仙大橋」を通り過ぎて水門と松が見えるところまで移動してみました。少し状態がちがいますが、狙ったポイントをスナップ出来ました。



●橋の上で止めるわけにもいかず、運転席からのスナップです。前にはこの場所に自由に行けたようですが、整備の邪魔になるようで工事車両以外は通行止めになっていました。


 【使用カメラ...Sony DSC-T30  3× Optical Zoom 7.2Mega Pixcel】

●気まぐれ Diary Memo        edit '08.5.8〜

<添付写真17+4枚>
*** 6.26 被災地を訪れて ***