【中国の旅】

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<その2>

1.兵馬俑
 西安の始皇帝陵は、まだ発掘されていない。この近くの畑から偶然見つかった「兵馬俑」である。深い溝に木の梁で屋根をはり、当時の軍隊の様子の土偶である。埴輪とは少し様子がちがう。現在も土偶の修復作業が続けられている。大きな体育館のなかに等身大の土偶が整然と並び、我々を見つめる。 

2.ゴビ砂漠
 西安から敦煌までは飛行機で移動。眼下に見えるのはゴビ砂漠である。草木のない荒涼として大地が展開する。敦煌までのフライト時間は約2時間少々。


3.低空のフライトではなく、ズームをいっぱい引いて望遠で撮影したものを、少し画像処理で補正した。ものすごい迫力である。この土地の下には何の資源が眠っているのだろうか。正式にはゴビ灘というらしい。飛行機からはチベットの山々は見えなかった。
4.鳴沙山
 「敦煌」から見て、おおよそ北西がトルファン。南西がチベット。南東が西安。東が北京。町から南の方向にある「鳴沙山」は、風で吹き飛ばされた細かな砂の山である。草木はなんもない。細かなダストが肌をこする。それが結構、痛い。

          

5.細かなダストが、意外と悪さをする。これが、春先の偏西風で日本列島まで飛んでくる。この場所では、駱駝が観光の目玉。もう一つ大事なこと、むき出しで持ち歩くカメラ・ビデオは被害をこうむることが多い。『カメラをしまうビニールなどが欲しい』。ダストがカメラの中に進入し、マシンが動かなくなる。丁度、冬場のレンズの曇りみたいな症状となり故障することが多い。ビデオカメラはとくに注意が必要。私も帰国後ビデオはオーバーホールに出した。グリスの油部分にダストが入り、ガリガリとなってしまった。あわててナップザックにしまった。
6.莫高窟
 「鳴沙山」のはずれにある「莫高窟」。断崖のなかにある壁画や仏像には唖然とする。写真の建物は、入り口ではない。このなかに大きな仏像が一体安置されており、我々を見つめる。まだ発掘中の所もあるそうな。勿論内部の写真撮影は禁止。所どころに見える穴が入り口であり扉に鍵がかけられている。そこに壁画や仏像がある。部屋には照明がない。暗くて足許が見えない。西暦366年、楽尊という僧侶によって造営が始まったとされる。
7.陽関
 敦煌から北西の方向、遙か彼方がヨーロッパである。マルコポーロの東方見聞録では、金の国、日本の紹介がある。この写真は「陽関」といい、当時の関所跡である。周囲はこのような地面のままで、殆ど樹木はない。国語の漢文に出てくる地名。


8.砂嵐の前兆
 むこうにかすんで見えるポプラ並木。舞っているのは細かなパウダー状のダスト。ガイドが言うには、砂嵐の前兆。敦煌から「柳園駅」まで移動するあいだに、お見事この砂嵐に遭遇。ちょうど、冬の地吹雪のような感じで、前の視界がゼロになってしまう。ただ道路はアスファルト舗装されているので、外れることはないが、強風で車が吹き飛ばされるそうな。トラックの横転したものを目撃する。移動中のトイレは風で飛ばされるので、大小問わずしゃがんで済ませる。どこにもお便所なんてものはない。
9.高昌古城
 「柳園」から「トルファン」まで夜行寝台で移動する。のんびり、ゆっくりの旅。これはシルクロードの途中、ヨーロッパとの境目にある廃墟、「高昌古城」でレンガつくりの廃墟である。きちんと管理されており子供達のアルバイトが目立った。乾燥度が強いために、近くのアスターナ古墓群では、ご夫婦がミイラになって地下数メートルに安置されていた。死んでもこうして見せ物にされるのは、なんかたまらない。
10.火焔山
 「西遊記」でよく紹介された「火焔山」。酸化した赤色の地面は多分鉄分なんだろうか。赤いはげ山で草木はない。ふもとの緑はここに水源である川がある。周囲は砂利と荒廃した土地で、水のない河原みたいな感じである。とてもじゃないが、別荘なんていうような環境ではない。アフガンでの戦いは、このような草木のない山で行われていた。なんとなくその感じがつかめた。
11.ベゼクリク千仏洞
 イスラムと仏教との境目には仏教関係の遺跡が、このような断崖の部分にみられる。かなりはぎ取られていたりして、ほとんどがかすれてよく見えない。イスラム教では、偶像崇拝をしないので、タリバンのような世界遺産の石仏破壊行為になったのだろう。この左上に広場があり、日本人とそっくりな綺麗な女性達の民族舞踊のデモンストレーションがあった。不思議に男性は、日本人と風貌はことなるが、東洋系である。
12.トルファンの町
 町には水路として「カレーズ楽園」がある。遙か離れた、天山山脈から運ばれた水が、生活用水とブドウ畑に利用されている。きれいな町並みはどんどん整備がされていた。左側に見える看板にご注意。自治区という不思議な環境に、中国という国の複雑さがある。



13.ウルムチ郊外
 「ウルムチ」は、整備された高速道路とこじんまりとしたきれいな町並みであった。地理的にはヨーロッパとの境目になる。シルクロードは、ここからロシア・トルコを経てと西洋へと移行していく。周囲に眠る豊富な地下資源と石油、天然ガスなど、中国のエネルギー源は政争の場となっている。はるか向こうにかすんで見える山並みは天山山脈である。「天池」はその途中の観光地である。
14.天池
 標高1980mの夏だけの観光地。この地帯はカザフ族の居住地区である。湖の雲の後ろにはボゴダ峰(5445m)がみえるのだが。残念!!観光地の馬子さん達は必死であった。


  西安−>敦煌−>トルファン−>ウルムチ−>(北京)と、シルクロードの旅である。飛行機・列車、そして車での移動である。とにかく乾燥した広い大地の移動である。敦煌はもう一度行ってみたい。

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