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●日本海の夕陽  ’05.10.12〜13 天候 はれ          【参:関連写真枚数 13】

 北上→秋田→山形→北上へと二日かけてのドライブである。高速で秋田(大曲)に抜け、本荘経由で山形(湯の浜温泉 )へと、日本海に沿っての移動である。「白瀬記念館」「象潟」「奈曽の滝」「十六羅漢」「山居倉庫」を経て、宿泊する「湯の浜温泉」へと向かう。大体約220キロの移動で、今回の狙いは日本海に沈む「夕陽」である。

 翌日は「善宝寺」→「大日坊」→「多層民家」→「月山湖」→「山寺」へと向かい、北上に戻る経路である。かなりの強行軍とはなるが、有り難いことに高速道路が整備されているので、このようなドライブが可能となる。帰路は大体330キロに近い。

 ドライブ経路の観光地も数カ所プロットしてみました。大画面なのでひんしゅくを買うかもしれませんね...


  <スカートをはいたお日様...これから大体3分位で、お隠れあそばせます...>

  <完全に沈んだ夕陽...>


  <日の入り時刻>



 

●酒田の有名な「山居倉庫」               【 解説 3枚 】

 山居倉庫は明治26年(1893)、酒田米穀取引所の付属倉庫として建造され、築百年以上経った今も現役の農業倉庫として活躍しています。土蔵造りの12棟の屋根は二重構造で、倉の内部は湿気防止構造になっているほか、背後を囲むケヤキの大木は日よけ、風よけの役目を果たし、自然を利用した低温管理が行われています。
 全国有数の穀倉地帯である庄内平野を背後に控え、江戸時代には米の積み出し港として多くの船が行き交った湊まち・酒田。その繁栄ぶりは「西の堺、東の酒田」と称されるほどでした。

  <見事なケヤキが、倉庫の空調に役立っているのだそうな...この通りは倉庫の裏側にあたる>

  <倉庫の正面...この左端には見学者の「駐車場」が完備され、右端には「米博物館」がある>


●国道7号線の山形の入り口にある「十六羅漢」         【 解説 3枚 】 

 吹浦は、もともと漁村だったところで、多くの漁師が日本海の荒波に命を失ってきたのに胸を痛めた、海禅寺の第21代住職寛海和尚が、海難事故による諸霊の供養と海上の安全を祈り、衆生を救わんと、羅漢の造仏を念願して、発願したのが元治元年(1864)だったそうです。
 寛海和尚は、自ら近村はもちろんのこと、酒田まで托鉢して勧化につとめ、また一方で、升川の石工たちを指揮督励して刻苦し、明治元年(1868)ようやく22体の磨崖仏を完工しました。16の羅漢に釈迦牟尼、文珠、普賢の両菩薩、観音、舎利仏、目蓮の三像をあわせて22体といわれています。

<全体の様子>...中央がメイン部分

<ここでは8体は確認出来たが、岩場の陰の方にも数体...>

<その昔、この岩場付近が道路だったのでしょうか...>


●月山の麓(湯殿山)にある「多層民家」         【 解説 3枚 】

 三層構造の多層民家の里として知られている田麦俣(たむぎまた)。緑の中に茅葺き屋根の民家が点在。昔話の世界に迷い込んだ錯覚さえ覚える…

【茅葺の民家 旧遠藤家住宅】
 この建物は朝日村田麦俣に見られる兜造り多層民家の代表的なもので、昭和49年4月、山形県有形文化財の指定をうけた村有建造物です。
 昭和52年8月から同53年10月まで、山形県教育委員会の指導監督のもとに半解体復元工事を行い、兜造りに改築された明治10年代の姿に復元されました

    <大きな三階建ての家屋。二階は物置。三階には蚕の棚がずらり...>


 <懐かしい木風呂>


  <整理された台所の様子>



●月山湖の売り物 「112m」の大噴水        【 解説 1枚 】
 
 打上時刻:☆平日は午前11時から午後4時まで
   (午前11時00分に1回目打上 その後1時間毎に打上 午後4時00分最終打上 計6回)
  打上時間:10分間  自然と科学が融合した月山湖 大噴水が湖上に!!


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